ちょっと気になる「つぶやき」を見つけました。現代の中高生でInstagramが人気との事で、高偏差値の子だけがTwitterを使っているとのこと。
つまりは活字離れ、ということにつながるのですが、新聞を読まなくてもネットを見れば切り抜きやまとめた情報が見られる現代では、好みのある方向に突き詰めて職業にすればある程度生活は潤う、と考えてしまうのです。
そもそもTwitterは単なる情報収集のツールとして優れている所はありますが、それを「活字」として扱っている表現として「文字遊びをする子は高偏差値の子が多い」という統計は少しだけ理解に苦しむ内容に感じます。
また先日のテレビ番組の選挙特番で、若者に政党選びの基準を取材した映像がありましたが、そこでは「生活にはパソコンかスマホがあればなんでも良い」との回答があり、政党選び云々が自身の生活に何か変化をもたらすのではないか?などの期待感はなく、既に若者にとっては困窮の時代を受け入れつつあるという現状がそこにあるからです。
若者だってスマホで検索をすれば「活字」を読むと思いますし、何よりも「読む時間が勿体ない」と思う世代としては、自ずと活字を必要としないInstagramや、10秒でも楽しめるTikTokを好み、人気が集まるのでしょう。
これは世代問わずに言える事であって、レンタルDVDが主流だった時代とは違い、ストリーミング配信のNetflixやPrime Videoがある現代では、ザッピングするかのように映画が見られるサービスの利用者層は若者以上に高齢者が多く利用しているとの統計があるそうです。
大人だって便利なものを使う。
その順番をすっ飛ばして今を生きているのが若者。
また、読書が大好きな私ではありますが、読むスピードが非常に遅く、それを補うようにアマゾンのAudibleを利用してますが、これは素晴らしいですね。音で入るとスラスラと頭に入りやすくなることから、モノは使い分けだと痛感させられました。
活字離れ。
これはネットに慣れ親しんだ世代すべてが対象だと私は思うのです。