
先日、たまたまテレビをつけたら、山奥に住む“なんでも修理してくれる”という、ちょっと有名な方の特集が流れていました。
ああ、この人か…と、すぐにピンときた方もいるかもしれませんね。
画面の中では、その方が所狭しと並ぶ部品の山に囲まれていました。モニターや基板、コードの束…。いわゆる「ストック品」です。
それを見たとき、ふと胸の中で何かがうずいたんです。
「ああ、やっぱり“修理屋”って、技術も大事だけど“持ってるかどうか”が勝負なんだよな…」って。
修理屋のリアル:「技術3割、ストック7割」
昔から業界内ではよく言われるんです。
「修理屋の実力は、技術が3割、ストックが7割」って。
ちょっと極端な言い方かもしれません。でも、私の肌感覚としては…いや、けっこう当たってると思うんですよね。
いくら腕が良くても、その機種に合う部品が手元になかったら、もうどうにもならない。
特に最近は、新しく始めたばかりの修理屋さんが多くなってきています。でも、そういったお店では、在庫が揃っていないことが多くて、どうしても「部品取り寄せ」という対応になってしまう。
もちろん、それが悪いわけじゃありません。でも、“今すぐどうにかしたい”というお客様の期待に応えるには、やっぱり“ストック”がモノを言うんです。
ジャンクは宝、ゴミじゃない
当店ももう15年近くやってきて、おかげさまで店舗の片隅には、それなりの“お宝の山”…もとい、“ジャンクパーツ”が積まれています。
正直、パッと見たら「ゴミだね」と思われるかもしれません。でも、これが本当に大事な財産なんです。
たとえば、古いノートパソコンのメモリやCPU。もう使われないような型番でも、お客様が持ってこられるPCがさらに古かったら、これらが唯一の救いのパーツになったりします。
お客様から「こんな古いの直るんですか?」と聞かれたとき、ストックからパッとパーツを出して、「じゃあこれでどうでしょう」とできたときのあの顔。あれがあるから、この仕事、やめられないんですよ。
テレビの修理劇と、ちょっとした違和感
話を戻しましょう。テレビ番組の話。
ある女優さんが、亡きおじい様の使っていたデジタルカメラを修理してほしいと依頼する場面がありました。
中のフレキケーブルが断線していたようで、結局、同じ型番の中古カメラを中身だけそっくり入れ替えて、“修理完了”となっていました。その女優さんは涙を流して喜んでいて、見ていてこちらもじんわりきました。でも、正直なところ——
「それって“修理”って言っていいのかな?」
なんて、ちょっとモヤっともしたんです。
中身はまるごと入れ替えてる。私たちから言えば、それは“部品交換”や“代替機提供”に近い。
でも、その方にとっては「祖父のカメラの形」こそが思い出だったんですよね。
人の気持ちが動くポイントって、本当に不思議で、そして尊いものだなあと。
私たちも“入れ替え修理”すること、あります
実は、私たちも似たようなことはしています。
たとえば、割れてしまったパソコンの外装。
直せないレベルでヒビが入っていたときには、同型機のパーツ取りから状態の良い外装だけを抜いて、内部を入れ替えて納品することもあります。
それを「修理」と呼ぶのか、「交換」と呼ぶのか。
線引きは本当に難しい。でも、お客様が「直ってよかった!」と喜んでくださるのなら、それでいいのかなとも思います。
今日も、地道に“ストック”を探しています
こうして改めて思うのは、
「修理屋は、技術職であると同時に、コレクターであり、探検家でもある」ということ。
いいパーツを見つけるために、リサイクルショップや解体PCの山を“目を皿にして”探しています。
それがどこか宝探しみたいで、時にワクワクもするんですよ。
最後に:修理って、実は“人の想い”を直してるのかもしれません
部品だけじゃない。技術だけでもない。
ストックと知識と、そしてちょっとの工夫と、相手の気持ちへの共感。
もしかしたら修理って、壊れたモノを直してるように見えて、「壊れてしまった思い出」や「使えなくなった時間」をもう一度取り戻してるのかもしれませんね。
読んでくださってありがとうございました。
今日もまた、店の片隅で、いつか誰かの役に立つ“ガラクタ”を眺めながら、次の修理に備えています。