
夜の帳が下りた頃、スマートフォンを握りしめ、KICKのアプリを開く。画面に現れるのは、エネルギッシュなオーラを放つ男、コレコレだ。彼の配信が始まると、コメント欄は瞬く間に熱気を帯び、まるで深夜の祭りのような騒がしさとなる。かつて深夜ラジオ「オールナイトニッポン」に夢中になった世代にとって、この感覚はどこか懐かしい。しかし、コレコレの魅力は、単なるノスタルジーだけでは語れない、現代ならではの強烈な引力を持っているのだ。
夜も更け、家族は寝静まった。リビングの灯りを消し、一人ソファに深く腰掛ける。手にはスマートフォン。指先が辿り着いたのは、KICKのアプリ。画面には、若者たちの熱気に満ちたライブ配信が映し出されている。その中心にいるのは、エネルギッシュな若者、コレコレだ。
正直、最初は戸惑った。騒がしいコメントの波、飛び交う若者言葉。でも、なぜだろう。気がつけば、その画面から目が離せなくなっている自分がいる。
この感覚…どこかで覚えがある。そうだ、あれはまだ私が10代の頃。深夜、布団の中でイヤホンをそっと耳に当て、AMラジオのダイヤルを回していた時の感覚だ。「オールナイトニッポン」。パーソナリティの軽快なトーク、リスナーからのハガキが織りなす、ちょっと大人びた世界。学校や家庭では聞けないような、本音や悩み、そしてくだらない笑いがそこにはあった。
画面の向こうのコレコレは、当時のラジオパーソナリティとは違う。リスナーはリアルタイムでコメントを送ることができる。言葉遣いも、遠慮がない。時に過激で、ハラハラする場面もある。でも、その剥き出しの言葉の裏には、何か惹きつけられるものがあるのだ。
若者たちの熱狂は、私には少し眩しい。彼らが何を面白いと感じ、何に怒り、何に共感しているのか、完全に理解できるわけではない。でも、コメント欄を眺めていると、ふと共感できる言葉が見つかったりする。社会に対する不満、将来への不安、人間関係の悩み。形は違えど、私自身も若い頃に感じたような感情が、そこには確かに存在している。
深夜ラジオは、顔の見えない相手だからこそ、本音を語れた場所だった。KICKの配信は、顔が見えるけれど、匿名性があるからこそ、よりストレートな感情が飛び交うのかもしれない。
47歳になった今、深夜にこうしてスマホの画面を見つめているとは、若い頃には想像もしなかっただろう。でも、あの頃ラジオに求めていた、日常から少しだけ離れた刺激、誰かの本音に触れる感覚は、形を変えて今も私の中にあるのです。
コレコレの配信は、私にとって、過去と現在が交差する不思議な時間だ。若者たちのエネルギーに触れ、忘れかけていた感情を思い出す。そして、深夜の静けさの中で、少しだけ心が軽くなる。明日もまた、平凡な日常が始まる。でも、今日の深夜に垣間見た熱狂は、きっと私の心の片隅に残るでしょう。
明日の朝、この熱狂が嘘だったかのように、またいつもの日常が始まる。それでも、深夜に垣間見たこのざわめきは、確かに私の心に小さな波紋を残した。さあ、そろそろ画面を閉じ、静かな眠りにつこう。またいつか、この喧騒に身を委ねる夜が来ることを願いながら。
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